ブログみたいなやつ

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タイに行った

一週間ほど、タイのチェンダオという街に居た。さとこと、菅原ユウキさん(がーすーさん)と、おれの三人で。

 

泊まっていたホテルはココホーム、主人のココさんは親切で明るく、英語もおれより遥かに堪能で、非常に助かった。ココさんのイトコもそこで働いていて、いつもニコニコしている愉快な人だった。先導している吊り橋をガニ股ダッシュで揺らして我々をビビらせたり、バレンタインには「ハッピーバレンタイン!ユアビューティフォー!」と言ってさとこに上着をプレゼントしてくれた。(何度かチップを渡そうとしたけど、いいよいいよ、という感じで、全て笑顔で断られた。)

 

旅の移動手段はヒッチハイク、軽トラの荷台、バイク三人乗り、トゥクトゥク、自転車(夜、野犬の群れが追い駆けてくる!)など。移動がいちいち面白い旅だった。朝には軽トラの荷台から時速100キロぶんの初夏の風を浴び、夜には流れる木々の向こうでじっと動かない星空を見つけた。

 

チェンダオに来たのは、シャンバラというフェスがやっているから。シャンバラには色々な国の人達が集まっていて、ライブがあったり、手工芸品を売ってる人が居たり、ヨガ等のワークショップがあったり、どこからともなくマリファナが薫ってきたりした(タイは大麻違法なので、大麻目的でタイに行くのはお勧めできないです)。

 

がーすーさんはシャンバラに出演するミュージシャンのひとりだった。出番は昼。草の上に敷物を敷いて、ワラか何かの屋根が設置されたステージで、ライブをした。素敵な雰囲気のライブだった。新しい歌もやっていた。少し心の混乱を感じる、青白いような熱いような歌。おれは一番前で観て、トイカメラで写真も撮った。今日フィルムを写真屋に持っていって、現像・プリント待ち。

 

チェンダオはわりと田舎なので、ご飯も安くておいしいし、ものを盗まれることもなかった。一度、ヒッチハイクした車にカバンを忘れてしまったのだけど、乗せてくれた人がホテルの主人と知り合いだったので、それも連絡をつけて取り返してくれた。

 

最後の日だけはチェンマイで過ごした。女達がくねくねと座り込んでいる妖しいマッサージ屋(おれは清純派なので入店を断念)、文化祭風の箱バンがオアシスやニルヴァーナばかり演奏するナイトバザール、チェンマイは渋谷に少し似ていた。全然違うんだけど、なんとなく。

 

チェンマイハードロックカフェを通り過ぎると、暗い通りの奥の方にラスタカフェというバーがあって、地元のバンドやDJがレゲエを鳴らしていた。心地良い場所だった。世界中いろんなとこで、みんなが楽しく過ごせるように頑張ってるんだな、と思って嬉しかった。おれはそこで久しぶりにジントニックを飲んだ。話しかけてきたサンフランシスコ出身のお姉さんに煙草をわけてあげたら、ありがとう!あなたってレディボーイ(オカマ)なの?と訊かれた。女の子がすきです、と答えて、昨日の夜の七時ごろ日本に帰ってきた。ラスタカフェ、隣にさとこも居たのだけど、男に見えたのかもしれない。さとこが。全部さとこのせいだ。

月が咲いていたので、詩を書いた(2)

詩を書いた。

数日前(アホなのでいつか忘れた)の満月が、花びらのような光に囲まれて、さらにそのぐるりに、ほんのりと虹の輪を作っていて、それに感動したから。

輪っかになってる虹なんて初めて見たし、それがこんなにも花のような月から、本当に花の香のようだった。

おれは浮足立ち、とにかく月の花の詩を書かなきゃいけなかった。

 

数日かけて改稿したので、これから(1/12)再投稿する。

実際にそんなことは無かったかも、という箇所を削り、こんな事もあったな、というものを書き加えて、要らない部分を間引いたりした。

内容は依然として変わらない。

月がきれいだな、おわり、である。

やはり意味など無い。(忙しい方向けの要約)

極力心を込めて書いた。

時間があったので幾らか書き直したところだ。

上手くなるのを待っていたらジジイになっちまう、とラモーンズの人が言ってたので、再び公開する。ただし、ラモーンズは上手いのだ。

 

花について その二

 

宵闇に袖を引かれて外に出る。

昏い軒並みの水面には、

日の出のような月がある。

冬は冷氣のハープを爪弾き、

或いは夜想曲の調べを聴いて、

街は清冽な氣勢を帯びる、

しんと鎮んだ、路の果てまで。

 

青く玲瓏な夜空が拡がり、

星の砂糖はきらきらと溶け、

子供のような満月が、大人しく、

たんぽぽみたいに咲いている。

その花の浅く明るむ周縁に、

円い仄かな虹が薫ると、

誰か見付けた瞳にも似て、

心は真昼のように明るい。

世界最古の釣り針は沖縄、2万3000年前

日が昇る。人間はそれを観察して、「なぜ」を付加する。

そうすると、問いが誕生する。

――日が昇る。なぜ、日が昇るのか。

――問いが誕生する。なぜ、問いが誕生するのか。

 

それから、「何か」を加えると、現象の観察が始まる。

――日が昇る。日とは何か。

――問いが誕生する。問いとは何か。

 

人間は、言葉が生まれる以前にもこんなことをして遊んでいたのかな?

言葉以前の思考はもっと混沌としていて…

だけどもっと鮮やかで透明なものだったかもしれないと思う。

 

言葉以前の人々は、おそらく階段を上らなかった。船にも乗らなかった。

彼らはまだ階段や船を作ることが出来なかった。

彼らは崖の上、あるいは巨きな湖の対岸に行くとき、無心に歩き、無心に到達した。

それは彼らにとってワープするみたいな一瞬の出来事であったかもしれない。

例えば崖の上のような目的地までの直線ルートを作るとき、

その階段を作るために余計な時間がかかってしまうという事がある。

だけど彼らはそんな階段を作らない。

彼らは無心のトンネルをくぐって、一瞬でそこに着いたかもしれない。

 

そういうことを想像すると楽しいし、

自分にもそんな要素が少しは備わっているのでは、と希望が持てる。

きょうで1月最初の週が終わるね。

あと、現在知られている世界最古の楽器は35000年前の笛らしいよ。

さっきね、Wikipediaでこんなページを見つけて眺めてたの。

世界最古の一覧 - Wikipedia

 

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