ブログみたいなやつ

ブログです。

嫌いこそものの下手なれ

「これ何?」
「これは…間違って書いてしまって消しました。すいません」
「そもそもその間違いをすること自体が有り得ないから」
「すいません」
「本当にこれじゃ何も任せられないから。年末までこのままだったら『もう手に負えません』っていって別の場所回してもらうからね」
「すいません」

 

毎日何かしらの失態を犯し、明日こそは、と思いながら眠り、悪夢を見、明け方、今日こそは、と思いながら出社し、また何かしらのミスをしてしまう。という日々である。

 

おれは自分でも驚く位仕事ができない。無意識のうちに訳のわからないことをしでかしていたり、二つ指示をされれば一つは必ず忘れる、メモをとってもメモが間違っている、など、まるでマンガのようなでくの棒振りで、自分で自分を哀れに思う。本当に悲惨な気持ちになる。これではまともに仕事を続けていく上で心が持たないし、となると金がなく、金がないのであれば子供を育ててみたりする未来はおれには無いのかもしれない…などと思うのだ。

 

ただ一つだけ良かったことは、おれは音楽が好きだし(仕事と比べれば、遥かに)音楽の才能がある、ということが分かったことだ。

 

おれは仕事ができない。やる気はあるのになあ…どうも、まともな人間には到底なれそうにない。目下のところ絶望的である。

それでも、おれには愛する和音やメロディーや楽器の音色、誰かの歌う声なんかの持ち合わせがある。それがあるだけでおれは普通の・空気が読める・当たり前のことが当たり前にできる・人達よりも幸せなのかもしれない。

 

きっとこれで仕事ができたらあまりにも幸せすぎるので、神様が頭のネジを何本か抜いておいてくれたのだろう。それか、ハードオフのジャンクコーナーで材料を揃えておれを作りたもうたのかも知れない。

 

これから聖蹟桜ヶ丘でスパゲッティをたべる。好きな人達と。

 

これを読んでる人(いますか?)も気軽におれをメシにさそってね、あとあしたライブだから気が向いたらきてね。

あしたのライブのテーマは天国。天国は死んだら行く場所じゃなくて生のなかに各々が見つけるものなんじゃないかな?そして例えばそれは音楽の中とかにあるものなんじゃないかな…

という気持ちを共有できたら成功ということにしようと思っている。

自分の音楽がそんなものになれたらいいなあと思っている。

フィリピン出稼ぎ日記

ホテルのバックヤードでエレベーターを待っていると、エレベーターの奥にある階段から同僚のフィリピン人が下りてきた。グレンさんという三十代後半のお兄さんで、実年齢より少し若く見える。
「ゆうやさん!」グレンさんは俺に気づくと明るくなって、客の忘れ物が入ったカゴを漁り始めた。「これ、プレゼントね!」彼の手には親指サイズの水鉄砲が握られていた。
「いらないです」
断ると、その水鉄砲でおれを撃ってきた。
「うわっ!」
たじろぐおれを見て、彼はにっこり微笑んでいた。

 

数日後、グレンさんはおれの髪をセットすることを思いついた。何かの話の流れで、迂闊にも髪型を褒めてしまったところ、
「じゃあ、ゆうやさんもやりましょう!私がやってあげますね!」
ということになり、その日はすれ違う度に
「ゆうやさん!あした髪の毛やりますね?」
と言われた。おれはその都度断ったが、有無を言わさぬ感じのニコニコ顔だった。

 

翌日、朝イチの雑務を終えて上階にいくと、グレンさんが待ち受けていた。
「ゆうやさん!それじゃやりますね!」
グレンさんは新しいワックスの封を切り、おれの頭にそれを手早く塗りたくると、新人美容師のように溌剌とした動作で髪をピンと立たせて、自分と同じトウモロコシのようなヘアスタイルにしてみせた。その場に居合わせた別のフィリピン人のおばさんが「ゆうやさんかっこいいね〜!」と褒めてくれたが、なんとも説得力がない。流石に間抜けな感じだったのだろう、最終的には七三的な髪型に落ち着けてもらった。

 

下の階に戻ると、所長がPCの画面を見詰めていた。おれは出勤時と違う髪型になってしれっと下りてきたので、なんだかソワソワしてしまったが、所長はとにかくスルースキルの高い人なので、一瞥して終わりだった。

 

その後、シーツ発注などの事務仕事をしていると、おれと同年代のフィリピン人三人組が出勤してきた。男二人女一人、セブ島の辺りから日本にやって来て、高円寺でルームシェアをしながら働いている、タフな人達だ。三人組はおれの頭がいつもと違うのを見つけるとすかさず、「髪いいですね!」「カッコイイ〜!」と褒めてくれた。からかっているだけだと思うのだが、三人組のうちの一人が北斗の拳に出てくる悪人みたいな髪型なので、もしかすると本当に肯定していたのかもしれなかった…よく分からない。

おれは、まあいいか…と思って、一日その髪型で働いたのだった。どうでもいいのだが、生まれて初めてのワックス体験であった。性に合わないから、もうやりたくないなあ…。

欠陥品、24歳の梅雨を迎える

ここには書けないようなことがあって、最近は砂糖入りのガソリンでむりやり走る原付の気分だった。今朝、五歳の女の子が虐待で亡くなったというニュースを知った。なんだかショックで泣きそうになった。少し涙が出た。悲しい気持ちで出勤した。

 

朝礼の後で、上司の方から注意を受けた。
「ちょっといいかな」
話によると、おれは空気が読めておらず、場違いな発言・的はずれな質問をし、パートのおばさん達や上司の方にも少々不愉快な思いをさせてしまっていたらしい。

 

集団行動の下手な、ズレた子供だったおれは、塞ぎ込んでコミュニケーションから逃げることで十代後半を過ごし、うまく話せない相手が多いままで年だけとってしまった。小・中学生の頃にぶん投げた宿題がおれを殺しに帰ってきたようだった。

 

それから三十分ほど、この職場には敵しか居ないのかもしれない、おれを軽蔑したり、憎しみを抱くような人だって沢山いるのかもしれない、と思い、久方ぶりに疑心暗鬼になっていた。「空気を読む」ということがどこまでも当たり前に存在している環境において、おれは悪意のある人間のように取られてしまいかねないと思うのだ。

 

とは言え、自分を呪って解決することなど一つもない。これは、子供の頃の自分と一緒に学び直しをするチャンスだ。「おじさんが宿題を手伝ってあげよう」という風にしていくしかないことだ。頭ではそう思うことにした。ポンコツなおじさんなりに。

 

昼休み、作りかけの歌の歌詞の最後に、僕には居場所がない、と書き足した。

迷子のメリット

通勤で京王線新宿駅まで行き、そこから大江戸線に乗り換えるのだけど、天井から案内標識がぶら下がっているにも関わらず、道を誤り、気付けば訳のわからない地下通路に辿り着いていた。これで二度目だ。正しい道だとバーガーキング、間違った道だとロッテリアがかなり序盤にあるのだが、早朝につき頓珍漢及び無知蒙昧の度合いが格段に高まっており、おれの認知能力はそんなことにも気づけないところまで落ちてしまっていた。しかしそのお陰で、人目につかないがら空きのトイレを発見することに成功した。方向音痴は基本的に困るし阿呆だと思われるし実際に阿呆なのだけど、時々いいこともある。

ヒマな暮らしがすきだけど

今月からなんとなく、週5で契約社員として働き始めた。マジメにやっていると正社員にもなれるらしい。職場が東京タワーの近くなので、高尾から出勤するとなると朝の五時半には起きないとまずい。それで強制的に早起きになった。あしたも五時半には、できれば五時に起きて朝食をとろうと思う。

 

職場にはフィリピン人が多い。みんな陽気で働き者だ。今日はフィリピン人のおばちゃん達が、誕生日の人がいるというのでささやかなパーティーのようなことをしていた。資材置き場になっている一室にピザやスパゲッティ、コーラの2リットルボトルなどが並んでいて、おれも分けてもらった。アットホームな職場だなと思った。

 

自由時間は否応なしに減ってしまった。この先そのことに耐えられなかったら、おれはすぐに仕事を辞めてしまうだろう。ギターを弾く時間が減ってしまったので、もっと楽しく弾くようにしようと思った。音楽は義務ではなく、少ししか時間がなくてもどうしても聴いたり弾いてみたりしたいものなのだと改めて感じた。

 

何も生まれなくても、自分の心がすこし満たされる音が出てきたならそれで充分なんじゃないかと思った。曲を作るということは遊ぶということや、自己対話であったらいい。需要がないならそれは仕事ではない。音楽に触れていたいという気持ちは、心の中を無目的にうろつく野生の動物のようなものだった。

 

8時ごろ家に帰り着いて、カモミールを飲んだ。それだけで結構、落ち着いた時間を過ごせるものだ。小さなことを重ねて、ささやかな達成感のなかで暮らしたい。部屋が片付いたとか、猫がごろごろしておなかを見せてたとか、干しきのこを作ってそれでダシをとったらおいしかったとか。

面白いことなんて幾らでもあった気がする

自分が暮らしてきた街、いま暮らしている街にも、流れているムードがある。それは例えば音楽が音楽になる前のものだと思う。ふと周波数が合った時にだけ聴こえてくるようなもの。

東京の郊外の音楽を作りたいと思う。アジアの、日本の、東京の、郊外の音楽。街、野原や川、バス停や駅前の喫煙所、花や月、並木の遊歩道。東京郊外という視点から感じ取れる色や匂い。又はそこから憧れるものとか…そこから生まれる神話のようなものとか(思いつかないけど、何かあるはずだと思う)。

何か作るときに必要なのは新しい感覚、それもあるかも知れないけど、ここまでに感じてきた色々を思い出すことなんじゃないかと、最近になって思うようになった。

それは発見するということかもしれない。新しい考え方を発見すること。忘れていた感覚を発見すること。
おれは、他の人と比べると、どうも色々なことを忘れながら生きてきているようだし、尚更なのかもしれない。

タイに行った

一週間ほど、タイのチェンダオという街に居た。さとこと、菅原ユウキさん(がーすーさん)と、おれの三人で。

 

泊まっていたホテルはココホーム、主人のココさんは親切で明るく、英語もおれより遥かに堪能で、非常に助かった。ココさんのイトコもそこで働いていて、いつもニコニコしている愉快な人だった。先導している吊り橋をガニ股ダッシュで揺らして我々をビビらせたり、バレンタインには「ハッピーバレンタイン!ユアビューティフォー!」と言ってさとこに上着をプレゼントしてくれた。(何度かチップを渡そうとしたけど、いいよいいよ、という感じで、全て笑顔で断られた。)

 

旅の移動手段はヒッチハイク、軽トラの荷台、バイク三人乗り、トゥクトゥク、自転車(夜、野犬の群れが追い駆けてくる!)など。移動がいちいち面白い旅だった。朝には軽トラの荷台から時速100キロぶんの初夏の風を浴び、夜には流れる木々の向こうでじっと動かない星空を見つけた。

 

チェンダオに来たのは、シャンバラというフェスがやっているから。シャンバラには色々な国の人達が集まっていて、ライブがあったり、手工芸品を売ってる人が居たり、ヨガ等のワークショップがあったり、どこからともなくマリファナが薫ってきたりした(タイは大麻違法なので、大麻目的でタイに行くのはお勧めできないです)。

 

がーすーさんはシャンバラに出演するミュージシャンのひとりだった。出番は昼。草の上に敷物を敷いて、ワラか何かの屋根が設置されたステージで、ライブをした。素敵な雰囲気のライブだった。新しい歌もやっていた。少し心の混乱を感じる、青白いような熱いような歌。おれは一番前で観て、トイカメラで写真も撮った。今日フィルムを写真屋に持っていって、現像・プリント待ち。

 

チェンダオはわりと田舎なので、ご飯も安くておいしいし、ものを盗まれることもなかった。一度、ヒッチハイクした車にカバンを忘れてしまったのだけど、乗せてくれた人がホテルの主人と知り合いだったので、それも連絡をつけて取り返してくれた。

 

最後の日だけはチェンマイで過ごした。女達がくねくねと座り込んでいる妖しいマッサージ屋(おれは清純派なので入店を断念)、文化祭風の箱バンがオアシスやニルヴァーナばかり演奏するナイトバザール、チェンマイは渋谷に少し似ていた。全然違うんだけど、なんとなく。

 

チェンマイハードロックカフェを通り過ぎると、暗い通りの奥の方にラスタカフェというバーがあって、地元のバンドやDJがレゲエを鳴らしていた。心地良い場所だった。世界中いろんなとこで、みんなが楽しく過ごせるように頑張ってるんだな、と思って嬉しかった。おれはそこで久しぶりにジントニックを飲んだ。話しかけてきたサンフランシスコ出身のお姉さんに煙草をわけてあげたら、ありがとう!あなたってレディボーイ(オカマ)なの?と訊かれた。女の子がすきです、と答えて、昨日の夜の七時ごろ日本に帰ってきた。ラスタカフェ、隣にさとこも居たのだけど、男に見えたのかもしれない。さとこが。全部さとこのせいだ。