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仕事がめちゃくちゃ早い中国人のおばさん

職場の中国人のおばさんとよく話す。今日も話してた。

 

「夫が仕事の都合で日本に行ってたの。私はしばらく中国に残ってて、あとから日本に来た。それから知り合いの紹介で厨房の仕事を始めた。魚を捌いて刺身を作ったりする仕事。中国人が働くような場所じゃなさそうだったから『私、日本語全然分からないよ』と言ったけど、知り合いは『だいじょぶだいじょぶ!見て真似すれば出来るから』と言って取り合わなかった。結局、見様見真似で仕事を覚えたよ。そこを辞めてホテルの清掃の仕事に移ったのは、保育園に預けた娘を迎えに行く必要があったから。晩御飯も作らなきゃいけないし。

 

娘は音楽が好きだよ。この前は小学校の発表会でリコーダーを吹いてた。好物はあんかけの麺。『今日は何食べたい?』って訊くと、娘はいつも『あんかけの麺!』って言うよ。私の得意料理なんだ。麺は小麦粉を買ってきて自分で作る。小麦粉はパンも作れるし安いから、いつも大量に買い込んでる。水を入れて、練って伸ばして、一晩置いて、細く切って茹でたら麺の出来上がり。あんかけは玉ねぎのみじん切りや挽肉を炒めて作る。外食は余りしないの。しょっぱいものとか脂っこいものが余り好きじゃないし、一度食べれば自分で同じものが作れるし。だから中華料理も好きじゃない。でも餃子は作るよ。フライパンは使わない。焼き餃子は脂っこいから、私が作るのはいつも水餃子。

 

私は野菜とか果物が好きよ。休みの日はいつも10kmから15kmくらい走って、八百屋さんに寄るの。最近は休みが多かったから毎日八百屋さんに通ってたよ。私の家は三つの駅の中間ぐらいの所にあるから、いくつかの店を見て回るの。新大久保の八百屋さんは安いし良いよ。

 

今は料理を沢山作って、友達にお裾分けしたり、家に招いてみんなで食べたりもするけど、昔は全然料理なんてしなかった。お母さんが料理上手だったし、姉達も見事な腕前だったから、私はいいやって思ってた。男性的な性格だったのもあると思う。『あんたは男みたいだね』って言われるような子供だった。実際、頭に花飾りを付けるなんて絶対に嫌だった。その頃は、速く走る事にしか興味が無かった。でも、娘のために作り始めたら楽しくなった。今は料理好きよ。

 

今日は暇だから、私もお昼ご飯食べるよ。ゆうやさんトマト食べる?私、トマト大好きなの。二個食べていいよ。大丈夫、私は朝六個食べたから(笑)、ほら、見て見て!」

 

 

そういう訳で、今日はそのおばさんからトマトを貰った。袋には『ながいきトマト』と書いてあった。少し甘味のある、実の詰まったおいしいトマトだった。

 

その後、着替えに来たフィリピン人のおばさんが「食べきれなかった」と言ってスパムをひと切れくれた。この人はいつも余分に食料を持ってきて、周囲の人間にどんどん食わせようとする。

 

以前古本屋で立ち読みした本で、その昔フィリピンに駐在していた日本軍の人の手記みたいなものがあったのだが、それによるとフィリピン人は食べ物をみんなで分け合う習慣があるらしい。食料が不足していた戦時ですらそういう感じだったのか、フィリピン人って偉大だな、と思った覚えがある。

 

それ(スパム)を見た中国人のおばさんが「じゃあこれも一緒に食べたら良いよ」と余ってるパンを分けてくれたので、おれは簡素なサンドイッチを作って食べた。

 

仕上げはさらに別のフィリピン人が事務所に常備しているマヨネーズに頼った。慈悲によって誕生したジャンクフードである。

 

スパムを食ったというだけの話でした。終