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日報

来月のシフトを見ると、社歴10年以上の先輩社員Aさんが有給を取得していた。四連休。ゴールデンウィークには及ばないがそれなりの休暇だ。

 

「どこか行くんですか?」と訊いてみた。

 

「どこか旅行しようかなあと思って。もうずっとどこも行って無かったので…人生あっという間に終わっちゃいますから」

 

Aさんは多分40歳か45歳くらいだと思う。いま25歳のおれですら、時の歩みの容赦なさは少し思い知りつつある。だからAさんからすれば、本当にあっという間に人生は終わる、と感じているかもしれなかった。

 

Aさんは社員としての評判が悪い。所長はAさんより10個くらい年下だけど、いつもAさんを見下しているような雰囲気がある。所長の上司にしてもAさんを馬鹿にしているのだろうな、ということが口ぶりから分かる。所長の上司は快活な方で、Aさん同い年だと思うのだが、その人と比べてしまうと、陰と陽、という感じだ。Aさんは柳のように静かに働いて、仕事を終えると入念に手を洗って帰っていく。覇気はおれから見ても無い。

 

しかしおれはAさんが好きだ。Aさんは進んで自分の話をするタイプでは無いのだが、時折話しかけてみると、意外と色々なことを話してくれる。映画とか本とか野球とか旅行が好きな人で、人の悪口を垂れ流しもしない。話していると、どうしてこの人がこんなに見下されなければならないんだろう、と思う。狭い空間に閉じ込められて働いている人々はいつも見下せる誰かを探していて、Aさんはそういう時に丁度いいおとなしさを備えているのかもしれない。とはいえ、Aさんは誰のことを馬鹿にする訳ではないのだから、他の誰もそうすべきではないはずだ……。

 

オチとかは無い。昨日は昔やってたバンドの曲を今でも聴いてくれていた人に会った。かなり救いになる体験だった。おれが何かを作るとき、どこかにはそれを丁寧に読みといてくれる方がいるのだと思った。ほんとにありがとうございます。音楽家志望者として、おれは府中でラーメンを食って帰る。

 

タコライス地獄からの手紙

これはただの日記である。仕事の日はいつも職場内の自販機で買ったおにぎりとかを食べているのだが、もう飽き飽きしていた。「もう少し上等なランチが食いたいな」という一心で、おれはタコライスの出前を取ることに決めた。この頃よく聞く、ウーバーイーツというサービスがある。まあ出前館みたいなやつだろう、と思って、軽い気持ちでそれを利用した。外人が適当に運んでくるものだというのは注文が完了した後で知った。

 

おれはホテルで働いていて、従業員用の通用口があるのだが、外人は一般客用のエントランスに突っ込んでいったらしかった。「中に入れませんでした」みたいなカタコトの電話がかかって来た。配達員とは電話で連絡がとれるようになっているのだ。おれは、「従業員用の裏口に来てください」と返事をした。外人はホテルの従業員に裏口の場所を訊こうとしたらしい。なるべく易しい日本語で裏口まで案内しようとしたが、外人はいつの間にかホテルのスタッフに電話をパスしていた。「あの、ホテルの者なんですけど」ホテルマンは言った。

 

結局、ホテルマンの付き添いで外人は裏口に辿り着いた。ホテルマンは半ばキレかかっているような口調で、おれの所属している会社、それからおれの名前を問い質した。出前を取るというのは客にも止めてくださいと言っている位のことで、完全にNGだったらしい。おれは平謝りしながら、脇にいる外人が持ってきてくれたタコライスを受け取った。

 

タコライスはタコ(?)とライスの比率が松屋牛めし位の感じで、ややもの足りない仕上がりだったが、オシャレ系の食い物なのでルートビアと合わせて1200円掛かった。高い。まずくはなかったけど、まずいことにはなった、とか一人で思っていた。ウーバーイーツのアプリを開くと、「この配達者を評価して下さい」という画面が表示された。配達者の顔写真の下に、可・不可を表す二つの手がある。おれは親指が奈落を指している方の手を選択した。

 

二時間後、ホテルの偉い人から結構怒られた。それから十五分後、恐る恐る上司にその旨を報告した。上司からも怒られた。三十分後、上司もホテルの偉い人から怒られたらしい。

「俺も(偉い人)さんから怒られたよ」

「すみません……」

すみませんの一言だけでは罪を贖いきれない感じがしたので、おれはそそくさと事務所の片付けを始めた。もともと向こう一週間ぐらいで事務所を片付けなければいけない、という状況だったのだ。こういう時、やるべきことがあると大いに助かるなあと思った。

 

おれは、片付けとか模様替えみたいなことが元来好きであるらしく、気づいたら三十分くらい経っていた。雑然としていた事務所はわりときれいになっていた。おれは自分の失態も半ば忘れてスッキリした気持ちになっていた。上司から「もう帰っていいよ」と言われたので帰った。

 

電車では「パルプ」という小説を途中まで読んだ。この前ゴミ捨て場で拾った東野圭吾にはまだ手を付けていない。新宿に着いて、乗り換えの電車を一本見送り、次の電車で座った。座り次第眠ってしまった。次に目を覚ましたのは電車が聖蹟桜ヶ丘を去る頃だった。

 

電車の中で、風になびく森を上空から固定カメラで撮影した動画と、犬かきをしているコーギーを下から撮影した動画を見た。森は細胞のようにウニョウニョと動いていた。コーギーはマシュマロのようにウニョウニョと泳いでいた。おれはウニョウニョした気分で家に帰った。

代々木議事録

アラタくんと会ってきた。新宿で麺を食って、スタジオ(貸し音楽室)を1時間借りて遊ぼう、ということになったが、新宿のスタジオは予約がいっぱいだったので、代々木のスタジオまで歩くことにした。

 

代々木に向かいながら、どんなバンドをやりたい?という話になった。「ダサいリフの曲とか作りたいんだよね」とアラタくんは言った。

「ダサいリフをダサいなあと思いながらギターで弾いて、それで誰かが盛り上がってるのを見て、ざまあみろと思いたいんだよね」

ゆがんだ人だと思った。(褒めてる)

 

以下はそんな感じでアラタくんと遊び半分に話していたことのメモです。

 

U: サンプリング主体の音楽で、音をごっそり抜いたり、全然違うものを唐突に挟んだりするの良くない?そういう感覚を持ってバンドやったら楽しいんじゃないかなあ…

A: 帳尻合わせみたいなフィルインなら無い方が良いよね。俺は突然ガーッと来るようなのが好きだから。バンドのアレンジも、音が飽和したものより引き算な方が良くて。スイッチのON/OFFみたいなことをしたい。

U: あと、おれはバンドやるならブラックミュージックに寄せたいって思っちゃうんだよね。バンドのメリットって低音とかリズムで遊べることだとすごく思うし、ライブハウスで音楽を聴くメリットも、低音がちゃんと聴けることなんじゃないかと思うんだ。そうすると、リズムに重きを置いてる黒人音楽が気になってくる。大して聴いてもないんだけど。

A: 俺はどうかな、前はソウルとかめちゃくちゃ聴いてたんだけど(今も好きだけど)、今はグルーヴが無いのもグルーヴだなあって思う。テームインパラってバンド聴いてそう思った。

U: ごめん、聴いたこと無いや…それってテクノみたいなこと?

A: テクノとかもそうだと思う。俺はさっき言った、スイッチみたいなことを考えてた。

U: マイナスの美学ってあるよね。今弾いてて気づいたんだけど、全部の弦を抑えて弾くよりパワーコードの方が音がヘヴィなんだよね。(アコギを弾く)

A: ほんとだ。

U: そういえばさっき「歌はちゃんと良いメロディのものを作りたい」みたいなことを言ってたけど、リフはやっぱりダサいほうが良いの?

A: ダサいリフを馬鹿にするのは、そこに良いメロディが乗せられないからだと思うんだよね。実際は良いメロディが乗せられるならダサいリフって面白いものになると思う。

U: なるほどなあ…

A: それに、それっぽいオシャレなものって別に好きじゃなくて。さっき歌った歌も、歌詞っぽくなくて直接的過ぎる表現がダサくて良いなあと思って書いたし。

U: なんだ、よく聞くような話か、って思われたら、メッセージがあっても伝わらないだろうしね。

A: それよりも、俺は歌詞が音楽の邪魔になるのが嫌でさ。TWICEの日本語版の歌詞良くない?韻の踏み方が適当すぎて好きなんだ。

U: おれはハングルで歌ってるほうが好きだけど。ていうかTWICE良いよね、世界観がマジで共感できない。ダンス部の女子のブログを勝手に検索して読んでるみたいな。

A: 見てはいけないものを見てしまった感ね。

U: ていうか最近まじでTWICEばっか聴いてる。

 

TWICE - LIKEY

https://youtu.be/N7MKlhS2ysU

 

父について

おととし、妻と籍を入れた。婚姻届を市役所に出し終わったおれは父に電話をした。

「いま籍入れて名字が山﨑に変わったよ」

父の返事は

「おめでとう!」

ではなく、

「ごめん、ちょっと急過ぎて祝う気持ちになれない。名字が変わることに対して何の相談もされなかったし…忙しいし切るね」

だった。

 

は?長男とか名字とかクッソどうでも良いだろ、と思ったので、夜に長文のラインを送った。やり切れず、涙を垂れ流しながら寝た。

 

後日、憎たらしい気持ちの覚めやらぬまま、とりあえず飯を食いに行こうということになった。父方の家の最寄り駅まで出向いて、車で拾って貰う形で対面した。久しぶりの再会だった。父が訊いてくる。

「どこ行きたい?俺はどこでもいいよ。ゆうやの好きなところで。バーミヤン行く?」

中学生だった頃、おれはバーミヤンが好きで、機会がある度に行きたがっていた。父はおれの好物を覚えていた――今のおれではなく、もう少し昔、子供だったおれの好物を。説明が難しいのだけど、おれはそれでなんだか惨めな気持ちになり、腹の底で燻らせていた怒りも、行き場をなくして萎れてしまった。

 

一応、父も多少はおれの結婚を祝福してくれている気がしている。もともとあまり連絡を取り合わない親子ではあるが、元気にしてるかな、とたまに思う。父の方からも連絡は来ない。父の方でも、「元気にやってるかな」等と思ってくれてると良いのだが、自信は余りない。

 

父と母が離婚したのはおれが中学三年生の頃。それからおれが母方の家に引っ越したのは二十歳の頃(妹は現在も父と暮らしている)。父からすると、妻と長男が段階を踏んで視界から消えていった、ということになる。それは寂しいことだろうか?そうでもないのかもしれない、父自身にもよく分からな、という可能性もある。

 

現在も半年に一度会うか会わないかという距離ではあるのだけど、時々、なんとなく父のことを考える。

昨日と今日の日記

風呂は早朝に入ることにして、早めに布団に入った。布団で音楽を聴いていたら一時間ぐらい経ってしまったのであまり意味はなかった。

 おれが妻を殺すことを想像してしまうのはなぜなのか、妻に相談している、という夢を見た。夢の中でしていた会話はもう忘れてしまったが、陰鬱な調子だった。

 遅刻の瀬戸際まで惰眠を貪り、判定負けのように布団から這い出た。風呂には入れなかった。六時前、家から徒歩十分の坂道を駆け下りるとバスが来るところだった。バスを降りて電車に乗る前に、売店で朝食用のパンと昼食用のおにぎりを買って、どちらも朝のうちに食べた。

 仕事を終え、四日連続でロッカーに置き忘れていたマフラーの存在を思い出した。帰りがけに思い出す事ができたのはここ四日間で初めてだった。着替えながら、ついにこれを持ち帰る日が来たのだ、と感慨に耽った。それで満足してしまったのか、着替えながらまたマフラーの存在を忘れてしまい、寒風に巻かれながら帰る羽目になった。

 職場のWiFiでネットフリックスから映画をダウンロードして、仕事の隙間時間や通勤の電車でそれを観るのが最近の楽しみだ。最近は家や職場で何本か映画を観た。「主人公は僕だった」、「鍵泥棒のメソッド」、「スチームボーイ」、「ホットファズ」。どれもまあまあ面白かった。最近香川照之が好きなので「七つの会議」を観に行きたい。鍵泥棒のメソッドでもキレッキレな演技をしていた。

 今日は家で「マイノリティ・レポート」を観る。舞台は殺人を予知するシステムを備えた近未来のアメリカ。警察の犯罪予防課に勤める男が自らの殺人を予知されてしまい、身の潔白を証明するため奔走する逃亡劇だ。多分それなりに面白いと思う。

フィリピン人とタイ料理

先日、職場に新しいフィリピン人・ジェイ君(仮名)が入ってきた。23歳男、中肉中背。フィリピン人と日本人の親を持つハーフの女の子と昨年結婚して、その都合で来日したらしい。日本語はほとんど話せないけど、フィリピン人はみんな英語が話せるので、おれは妖刀・英検三級をぶん回し、カタコトのクソ英語で彼とコミュニケーションしていた。以下に書く会話は全て、実際はカタコトの日本語とカタコトの英語の応酬である。

 

ジェイ君はヒゲをそらないので上司に10回くらい注意されてもマスクで適当に隠して出勤して来たり、バックヤードの従業員用エレベーターを待ちながら台車に腰掛けていたりする適当っぽい人物だ。

 

……と書くと若干アホっぽいが、フィリピンにいた頃はバーを経営していて、経営者なら従業員達の前で仕事をやって見せてロールモデルになるべきだよ、みたいな持論を持っていたり、サッカーに励んで戦士のような表情をしていた痩身の時代があったりもする。写真を見せて貰ったのだけど、今とはまるで別人だった。見かけより堅実なところがある人なんだろうな、という印象もある。ジェイ君とおれは歳が近いからなのか、それからおれの方でも面白がって会う度に話しかけていた為か、わりと仲良くしてくれるようになり、たまに一緒に帰ったりしていた。

 

今日は妻が出掛けてしまい、なんとなく物寂しかったので、「仕事終わったらめし食いに行こうよ」と誘ってみた。ジェイ君は高円寺に住んでいて、前々から「高円寺には割安なタイ料理があるから今度行ってみてね」とか言っていたのである。それで今夜、その店に行こうよ、という事になった。

 

電車に乗ってるときに、「ゆうやさんは神を信じますか?」と訊かれた。そう訊かれたのは二度目で、前回はただNo.と答えた。彼は妻と二人で六本木の教会に通うカトリックである。よく分からないけど日曜礼拝とかいうやつだと思う。おれは「神は信じないけど、神を信じる人を尊敬します。そのような在り方は美しいし、信仰は人間にとって重要なことだから」と答えた。彼は微妙な表情で頷いた。「だからおれに神は居らず、救いを求めて祈ることはあるけど、祈りが神に届いたりはしない、空気の中に去って行くだけ」言いながら、我ながら神を信じられないのは空しいことだなと思った。

 

高円寺ではガパオとかパッタイとかを分けあって食べた。彼はその店を気に入って、近いうち奥さんとも行く、と言った。マンションの家賃が十五万もするらしい(日本語で言っていたのでなにかの間違いかもしれないが…)ので、一応おれのほうが歳上だし、奢ってあげた。

 

店を出て異なる帰途の岐路に立った。おれは暇だから適当に煙草吸ったりしてから帰るね」と言ったら、「じゃあ家においでよ」と、彼が奥さんと暮らすマンションに招いてもらった。それが高円寺ウーハというお世話になっているライブバーから徒歩二分くらいのところだったので驚いた。

「え、ここなの?いつもライブの時この辺で煙草吸ってるよ、何度もここを通ったことがある」

彼はカタコトの日本語で「なんだよ〜!ばかばかし」と言った。「ばかばかし」がどんな意味だと思っているのかは不明だったがその口調はいかにも「ばかばかし」的だった。

 

ジェイ君の住んでいるマンションに着くと奥さんが出迎えてくれた。歳は分からないけど多分同年代の、かわいらしくて優しそうな人だった。見た目はフィリピン人だが名前はハルコさんと言った…これはおれが考えた響きの近い仮名だけど。名前的に生まれは日本かもしれないが、話している感じは日本語より英語の方が得意そうだった。英会話の教師をしているらしい。彼らのマンションの部屋の一つは、英会話教室用のスペースになっていた。なるほど、そういうやり方があるのか、と思った。

 

ジェイ君が言った。

「部屋に帰り着いて、奥さんの顔を見ると、安心して幸せになります、リラックスする。これが僕の幸せです」

「おれもそうだなあ。おれは家に帰って来た瞬間奥さんにハグする」

「僕もです。今日は(ゆうやさんがいるから)あとでにするけど」

彼は奥さんに目配せしながらタガログ語で何か言った。ハルコさんは幸せそうに微笑んでいた。

「どうぞ」

ジェイ君が冷蔵庫から缶ビールを出して持ってきてくれたので、乾杯した。ハルコさんは「私はいいや」と言って傍らに座っていた。ハルコさんの方がジェイ君よりは日本語が話せるので、通訳をしてもらいながら、三人で三十分くらい話してから帰った。「明日もがんばってね、お疲れさまです」彼と彼女は明日も仕事がある。おれは明日休みなのでダラダラと帰宅した。

家に着いて、こたつで暖まっていたら、ジェイ君からラインが送られてきていた。

arigato gozaimasu」

 

ローマ字のアリガトウが、なんか身に沁みた。

タイに行った(2018年2月)

一週間ほど、タイのチェンダオという街に居た。さとこと、菅原ユウキさん(がーすーさん)と、おれの三人で。

 

行きの飛行機はクアラルンプール乗り換え。早朝に着いて、昼頃まで次の飛行機を待たなければいけなかったので、空港内のフードコートで朝食をとった。おれはぬるいチキンご飯みたいなやつを頼んだ。クアラルンプールからタイまでは結構あっという間に着いた。海外旅行はこれが初めてで、入国手続きは結構緊張した…とりあえずなんとかなったけど。しかし入国早々、誤算があった。バーツ(タイの通貨)はタイに着き次第、クレジットカードのキャッシングで下ろせばいいや、と思って、日本円しか持たずに来たのだが、手持ちのカードがキャッシング利用の手続きをしていないものだったので、1バーツも下ろすことが出来なかったのだ。さとこも同様で、おれたちは結局手持ちの日本円を両替することしか出来ず、それでは足りなかったのでがーすーさんから借金をした。がーすーさんが居なかったら、結構ヤバイ旅行になっていたものと思われる。

 

その後、タクシー(と言っても、小さいトラックの後ろを客席に改造したみたいな乗り物)を見つけ、ドライバーのおばちゃんと我々の双方がグーグル翻訳を駆使しながら、行き先と料金を確認する。おばちゃんは無愛想で声が大きめでちょっとコワイ、グーグル翻訳もそこまで頼れるものじゃないので、コミュニケーションが成立してるのかよく分からない。不安はあったが、他の交通手段もよく分からないので、とにかく乗りこむ。チェンマイ国際空港から、チェンダオへ向かう通りには沖縄とかに生えてそうな樹が列んでいたりする。街並みは賑わっていて、通りは東京の国立に少し似ている気もするが、バイクに乗っている学生の女の子が沢山いて、三人乗りもザラに見受けられる。それから軽トラも多い。

 

街を抜け、少し閑散としたバス停でタクシーが停まる。おばちゃんの言うことはあまり分からなかったが、「私はここまで。あとはバスで近くまで行けるから」と言う感じだった。おばちゃんはバスのチケット売り場の方向を示してくれた上で、「バスの運転手にこれを見せなさい」とタイ語で我々の行き先を記したメモ紙を作ってくれた。おばちゃんは無愛想だが、親切な地元のおっかさんであった。バスは一時間か二時間くらい乗っていた。バスは停まることなく、減速するだけなのだが、乗客たちは慣れた様子でヒョイヒョイ飛び降りていくのだった。我々も少しビビりながら、タイ・スタイルで降車するに至った。そんなこんなでホテルに着いたのは夕方だった。

 

泊まっていたホテルの名前はココホーム、主人のココさんは親切で明るくて、英語も堪能だったので助かった。ボランティア活動なども精力的に行っているらしく、面持ちは若干ナットキングコールに似ていた。ココさんのイトコもそこで働いていて、いつもニコニコしている愉快な人だった。吊り橋をガニ股ダッシュで揺らして後続の我々をビビらせたり、バレンタインには「ハッピーバレンタイン!ユアビューティフォー!」と言ってさとこに上着をプレゼントしてくれた。(何度かチップを渡そうとしたけど、いいよいいよ、という感じで、全て笑顔で断られた。)ホテルの朝食はいつもトーストとゆで卵、あとバナナ、たまにマンゴー。簡素で良いなと思った。

 

旅の移動手段はヒッチハイクなら地元の学生のボックスカーとか、軽トラの荷台とか。もしくはレンタルバイクの三人乗り、トゥクトゥク(バイクタクシー)、自転車など。移動が面白い旅だった。朝には軽トラの荷台から時速100キロぶんの初夏(的な気温)の風を浴び、夜には流れる木々の向こうでじっと動かない星空を見つける、という具合だ。それだけならロマンチックだが、夜は野犬が活発化しているので、自転車でテリトリーに侵入してしまうと吠えながら追いかけてくる。運悪く狂犬病の犬に噛まれて処置が遅れると100%(!)の確率で死亡するらしいので、それはけっこう恐ろしかった。さとことがーすーさんが全力でチャリを漕いで犬から逃げる中、おれだけ平常心鈍行運転をしていたら、たちまち野犬の群れに囲まれてしまって、もう終わったと思った。しかし野犬たちは自分の縄張りから去ってほしいだけなので、ある程度のところまで来ると引き返していく。だからと言って安心はできない。狂犬病の犬は見境なく噛んでくるらしいので…野犬のいる国に行く方は注意した方が良いです。

 

チェンダオに来たのは、シャンバラというフェスがあり、がーすーさんがそれに出演するからだった。シャンバラには色々な国の人達が集まっていて、ライブの他、手工芸品を売る人が居たり、ヨガ等のワークショップがあったり、どこからともなくマリファナが薫ってきたりした。がーすーさんの出番は昼。草の上に敷物を敷いて、ワラの屋根が設置されたステージだった。素敵な雰囲気のライブだった。新しい歌もやっていた。少し心の混乱を感じる、青白いような歌。一番前で観て、トイカメラで写真を撮ったりした。今日、フィルムを写真屋に持っていった。

 

チェンダオは田舎なので、目をギラつかせたシティボーイみたいな奴(スリとか強盗とか、詐欺師とか)は居らず、ご飯も安くておいしかった。一度、ヒッチハイクで乗せてもらった車にカバンを置き忘れてしまうことがあったが、乗せてくれた人が我々の泊まっているホテルの主人と知り合いだったので、連絡をつけてもらって取り返してくれた。田舎だからみんな顔見知りな可能性もあるけど、その時は奇跡を感じた。

 

最終日だけはチェンマイで過ごした。女達がやわらかく座り込んでいる妖しいマッサージ屋とか、ナイトバザールとか。ナイトバザール内で夕食を摂っていると、地元のバンドが「ライカ〜ヴァージン~」と歌っているのが聞こえた。あと、オアシスとか、ニルヴァーナとか。いくつかのバンドが交代で演奏していたけど、皆どこか文化祭的な選曲だった。それはそれとして、チェンマイは渋谷に少し似ていた。全然違うんだけど、なんとなく。熱気のある街。

 

その夜は、がーすーさんと前日に合流してきた彼の友人/おれとさとこの二組に分かれて別行動をしていて、おれチームはあてもなく彷徨っていた。なにか面白い場所を探してうろついていると、ハードロックカフェを通り過ぎた暗い通りの奥の方に、ラスタカフェというバーがあったので、入ってみることにした。そこではナイトバザールに居た連中より硬派な感じのバンドが演奏していて、あるいはDJが爆音でレゲエをかけていた。心地良い場所だった。世界中いろんなとこで、みんなが楽しく過ごせるように頑張ってるんだな、と思って嬉しかった。久しぶりにジントニックを飲んだ。話しかけてきたサンフランシスコ出身のお姉さんに煙草を分けてあげた。彼女は「ありがとう!ところであなたってレディボーイなの?」と言って来た。「男性性が乏しい=レディボーイ」くらいの発想だったのだろう。別にどうでも良いが。…昨晩の七時頃、日本に帰ってきた。

 

――

 

約1年が経過。今は19年1月。また行きたいな〜と思いながら文章を少しだけ直したり足したりした。書いてなかったけど、象の背中に乗って森を散歩したりもした。象の背中にくくりつけられた、今にもずり落ちそうな椅子の上で、シートベルトをして。ホテルの近くのタイラーメン屋にほぼ毎日通ったりした。あとセブンイレブン。いつも同じ店員なのだが、おれの顔を見るたびに愉快そうにクスクス笑うのだ。タイのセブンイレブンは、店で焼いてくれるホットサンドが売っていたり、店先にタイラーメンの屋台があったりして面白かった。ほんとにまた行きたいな。今は契約社員として働いているので思うように休みがとれない。やはり、働かず、貯えや人のお金で暮らせるなら(それを周囲の人間や養ってくれる方に咎められないのなら)、それが一番いい生活だと、今でも思う。周りに「最近仕事をやめた」みたいな人がちらほらいるので。それはいい生き方だとおれは言いたい。旅行もしやすいし。