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右岸と左岸

 電車が終点に近づくにつれて乗客は一人二人と減っていき、最後に二人の酔いどれが残った。進行方向右岸の酔いどれはある程度の意識を保っているようだった。左岸の酔いどれは、もう酔いつぶれて眠ってしまっていた。走る電車の中、右岸は自分の置かれている状況に気が付くと、怪しい足どりで立ち上がった。そして左岸の酔いどれに歩み寄って、肩をゆすり始めた。
「すいません」酔っぱらい同士のよしみで起こしてやろうとしているように見えたがそうではない。「すいません、すいません」
 何度か声を掛けて反応が無いことを確かめると、右岸は左岸の荷物から財布を抜き出した。車両にはもうその二人以外誰も居なかったので、右岸は辺りを見回すこともなく財布を物色した。その財布には千円札と小銭が何枚かずつ入っているばかりだった。
「貧乏人の癖に酒なんか飲みやがって」
 右岸は悪態を付きながらクレジットカードが無いか検めたが、左岸はゆうちょのキャッシュカードしか持っていないようだった。「チッ」右岸は諦め悪く財布をこねくり回して、ドラッグストアのポイントカードなどの束を調べ始めた。「……あ」ポイントカードの束に紛れて、一枚の乗車券があった。《東京→伊豆急下田》と書いてある指定席券だ。発車時刻は明日の正午。
「ふーん、伊豆ねぇ」
 右岸は自分の財布にその乗車券をしまうと、ふらふらと別の車両へ移っていった。


 翌日、右岸は仮病で会社を休んで家を出た。最寄り駅前で牛丼をかき込んでから東京駅に向かい、正午ごろ、東京駅から「特急踊り子」に乗り込んだ。乗車券に記載されていた指定席は、周りに騒がしい団体もおらず快適だった。温泉にするか、海にするか。右岸が漠然と旅行の計画を思い描いていると、乗務員が歩いてきた。
「すみません。乗車券を確認いたします」
「はい」
 右岸が乗車券をひらひらさせると、乗務員が訊いてきた。
「すみませんが、そちらはお客様のものでお間違いありませんか?」
「え?はい、自分で買ったものですが」
「では、特別なサービスがございますので別室へどうぞ」
 右岸は別室へ案内された。


 その日の夜更け、左岸に電話が掛かってきた。左岸は緊張していた。自分の臓器の大半が摘出されてしまうという恐怖から逃れるために深酒をしたのがよくなかった。目が覚めたら、業者の男から受けとっていた乗車券をどこかに落としてしまっていたのだ。乗車券を無くして行けませんでした、なんて言おうものなら、甲乙両方の業者から憎まれてノーギャラで八つ裂きにされてしまうのではないか。その手の業者はメンツを重んじる文化があるとゴシップ誌で読んだことがあった。左岸はしばらくためらっていたが、着信音が鳴りやまず、無視をするのも恐ろしいので電話に出ることにした。左岸は緊張で声を上ずらせた。
「あっあっ、はい、もしもし」
「もしもし?先日の、提供の件ですけど」
 業者は魚のように平板に話した。
「あの。えっと。それなんですが、実は乗車券が…」
「乗車券?捨てちゃっていいですよ。ていうか捨てて下さい。とにかく、お疲れさまでした。まあ寿命はだいぶ縮んじゃったと思いますけどね。正直こうしてご存命なのが奇跡みたいなものですよ。それで、約束の三百万円ですが、『フルコースでお願いします』って言いましたよね?おたく勇気ありますよ。大したもんです。いや、感謝とかは良いです。こっちはただの仕事なんで。それで他にも色々取っちゃったんで、追加でもう五百万振り込ませてもらいましたんで。後で確認してください。この電話が切れたら、そのスマホはどこかの川に捨てて下さい。うちもセキュリティ面で色々気にしなきゃならないんで。ではお疲れ様です」
 業者は一方的に話し終えると電話を切ってしまった。なんとなく、おたくの質問や感想には興味が無いので、と言われたような後味がその場に残った。
 左岸は日野駅周辺にいたので、近くの橋を流れる川を見つけてスマホを投げ捨てた。そして近くのコンビニのATMで口座の残高を確認すると、残高が八百万円増えていた。
「どういうことだ……?」
 左岸はしばらく考えたが、何が起こったのか分からかった。
「ありがとうございます」
 左岸は天を仰いで手を合わせた。
 その後、左岸は有名な宗教団体の信者となり、人類とネコの和解のために残りの一生を捧げた。