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ここは養鶏場に票を入れるブロイラーの国なのだろうか

2019/7/17 19:14

京王線高尾駅・ホームにて

 

今日の夕空は藤色の半透明、その半透明に閉塞感は無くて、レースのカーテンが微風を纏うことに似ている。誰かが自分の為に仕立ててくれた特別なパジャマに袖を通したような気分、と言ったら少しくらい誰かに伝わるかな?変な例えだと思うけど、そういう気分になる。

 

以下仕事の愚痴

昨日は職場のおばさんが二人、ベトナムから来たハタチの女の子の悪口を言っていた。一人は「なんか生意気」という感じで、もう一人は「指示を無視された」と言う感じで。

 

「なんか生意気」に関しては、溌剌とした少女に対する嫉妬が混じってるように感じたし、「指示を無視された」に関しては、今日別のおばさんから聞いたところによれば、以前の職場はまともに休憩の取れる環境だったので、休憩中に仕事を振られたのが不満だったのではないか、という事だった。別のおばさん曰く、あの子は頼んでない仕事も進んでやってくれる良い子だよ、と。

 

若者に対する僻みなんて論外だが、休憩に関しては本来とれて当たり前のものだ。それが無いことによって起こった人間関係のトラブルであるなら、それはマネジメントする側の問題、労働基準法を遵守しない会社が悪いのに、下層でくすぶってる奴らって何故か上に向かっては平伏して、ストレスは全て隣近所でぶつけ合う、という習慣がついてるから、状況を改善する能力の持ち合わせが無いし、余計なことばかり言う。確かに、目の前にいる人間に全ての責任を負わせれば、あまりものを考えずに済むのかも知れないが、そんなの馬鹿でしかない。自分の財布を膨らましたいだけの運用者達と、下層で叩き合う被運用者達…世の中は玉座からだけでなく底辺からも腐る。バーカ、みんな●んじまえ!

 

なんにせよ、四十代とか五十代にもなって、嫉妬や誤解に基づいていちいち誰かを非難するような人間にはなりたくないものだ。というか、そういう奴らは人間として勘定するに及ばない、ウザい。ウザい奴はみんなでっかい棒である。故に人間扱いしても得るところが少ない。それはただの棒に過ぎない。面と向かって馬鹿にしたりはしない。適当に愛想よくやり過ごす、貢献できるように努めたりもする。おれの脳ミソの中には、処世のための形ばかりの真心が満ちている。

 

昨日は早めに仕事を切り上げてさとこと晩飯を食いに行くつもりだったのだが、昼間のうちにPC上でそこそこ仕上げておいた書類仕事が、「Windowsの自動更新」による強制再起動でいつの間にか抹殺されていたので、結局業務がひとしきり終了した後で一からやり直す羽目になった。

 

ビルゲイツ

まじでふざけんなよ…

敬具

 

2019/7/17 18:36

京王線下り列車高尾山口行き・4号車にて

 

さっき、電車で吊り革を二つ掴んでるクソバカ野郎が居た。そいつのせいでおれは寄る瀬がなく、電車の揺れによる八方崩しの憂き目に遭い、いちおう本を読もうとしたのだが、立ったまま寝落ちして取り落とした本を前に座ってた中学生くらいの女の子に拾ってもらって、アッすいませんとか言っていた。

その状況を我慢している内、だんだんむかついてきたので、その阿呆の手が二つの吊り革を断固としてホールドしている様子を写真に撮り、ツイッターに晒したりした。そのツイートにはSさんという知人女性から「いいね」がついた。(Sさんは時々キャバクラ?のクソ客から来たLINEをツイッターに晒し上げていて、クソ客がSさんに宛てた文章を読んでいると、何故かいつも少し自分の失態のように思えてくる)

 

こうして、おれの魂には永久に「いいね」の烙印が押されることとなったが、しばらくして、

《そもそも我慢しているのが良くないのではないか?》

と思った。おれは少しの間声をかけるべきかどうか悩んだが、最終的にはその吊り革二個使いの迷惑な者に相対して、ふつうに声を掛けてみることにした。

「すいません、僕も吊り革使いたいんで一個もらっていいですか?」

「あ…はい」

吊り革は普通に返ってきた。

大事なのは我慢じゃなくてコミュニケーションだ、と思った。もちろん時と場合によるけど、そこにあるはずの可能性を諦め一つで潰してしまうことって沢山あるんだろうな、と少し反省した。でもなんで吊り革を二個使わなきゃいけなかったんだろう?そもそもが意味不明である。しかもそいつの薬指には指輪が嵌っていた。こいつなんなんだよ…と思った。

 

結論

今夜はさとこがからあげを作ってくれた、とにかく気分がいい。