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ミチェラーダを飲み、フィリピンに帰るという選択肢を想像する

元同僚のフィリピン人J君と横浜で会ってきた。彼と一緒に働いたのはせいぜい数ヶ月くらいだったのだが、歳が近かったので当時仕事中によく話していて、なぜかLINEを交換したし、インスタグラムは彼に勧められて始めたものを今でも使っている。当時はたまに仕事終わりにメシに行ったりしていて、彼のパートナーとも会ったことがあった。それから5年くらいはお互いになんの連絡もとっていなかったのだが、今度そのパートナーと結婚式を挙げることになったそうで、その資金を日本の銀行で借りたいけど、日本語がわからんという内容の連絡がいきなり来たのがきっかけで、今回会うことになった。結婚資金の問題については結局借金をしないで解決できていたのだけど、せっかくなので会いたいなぁ、ということで、5年ぶりの会合になった。

横浜に着いたのは17時。横浜駅には最近(ここ1,2年くらい?)ショッピングモールが出来たらしく、駅から直結している入口で待ち合わせよう、という話になっていた。おれは方向音痴なので、駅を出てぐるぐるして、別の入り口からモール内に入り、店内の地図を見てようやくそこに着いた。J君は先に着いていた。5年ぶりくらいだし、以前より痩せていたけど、結構すぐに彼だと分かった。会ってすぐ笑顔で手を差し出してくれるので、そういえばフレンドリーな人だったと改めて思い出す。

もともとはタイ料理を食べよう、という話をしていたけど、やっぱりメキシコ料理をたべよう、ということになった。フィリピンの人達はおれの知ってる限りだと全員英語ができて、彼も例に漏れず、「Mexicanたべれますか?」という感じで「メキシカン」の部分は英語の発音だった。

入ったメキシコ料理店はなんというか少し所得の高い人がきそうな、お洒落な雰囲気の店だった。彼は着席した瞬間に飲物を注文した。人柄は穏やかだけど瞬発力がある。おれは店員さんにミチェラーダがあるか訊いた。あったので、それにした。家でさとこ(私のパートナー)とメキシコ料理の番組をみてて、そこでみた「ミチェラーダ」というビールカクテルがずっと気になっていたのだ。クラマト(貝の出汁とトマトのジュース)にビール、ライムとタバスコ、グラスの縁に唐辛子がくっついてる、みたいなカクテルで、気になりすぎて、飲んだこともないのに見様見真似で作ったりしていた。さとこと「本物はどんな味なんだろうね」と話しながら想像上のミチェラーダみたいなものをしょっちゅう飲んでいたので、ついに真相を確かめるときがきた、という感じだった。この日記の主題は特にないが、強いて言うなら『日本のメキシコ料理屋におけるミチェラーダはどんな味だったか』ということになる。


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手元にやって来たミチェラーダは、完成前の状態だった。グラスの底で希釈前のめんつゆみたいにクラマトが待機している。グラスの縁には唐辛子ではなく岩塩がまぶしてある(日本式なのか、メキシコでもそのパターンがあるのかは不明)。へりっちょにはライムが差してあって、内側には赤いマドラーが立て掛けてある。そのグラスと一緒に、メキシコのビールが運ばれてくる。お〜、本物の(?)ミチェラーダはこんな感じなのかと思って感慨深く眺めていると、「よく混ぜて下さい」といって店員さんが去っていく。早速ビールを注いでがちゃがちゃと混ぜてJ君と乾杯した。飲んでみると、おれが見様見真似で作ったものとくらべて、かなりしっかりとタバスコが入っていた。あと、グラスの縁に唐辛子、とかは家だとめんどくさいのでやっていなかったのだが、このミチェラーダのグラスにまとわりついてる岩塩のしょっぱさはウザいような気持ちいいような絶妙な存在で、「うま!しょっぱ!」みたいなことを思いながら飲む感じになる。本場の唐辛子まみれのグラスで飲むミチェラーダはきっと、「うま!辛!!」という感じなんだろうな、と思った。ひとくち飲む?とJ君に聞くと、「トマトが嫌いです」と言われた。ただしピザは好きとのこと。

彼はわりとメキシコ料理が好きみたいで、時折食べに来ているらしい。 おれは全然わからないので適当に料理を見繕ってもらって注文した。ナチョスとケサディーヤと、あとなんか角煮みたいなやつを食べた。むかし福生のタコス屋に行ったことがあって、そこがあんまり美味しくなかったから今日も期待してなかったんだけど、今日食ったやつは全部おいしかった。そしてミチェラーダが合う……さとこを置き去りにして、一足先に「メキシコ料理とミチェラーダ」という夢を叶えてしまった夜だった。

うまいめしを食いながら、どんな暮らしをしてたのかとか、おれの住んでる家の家賃がいくらだとか、まあ他愛もないような雑談をカタコトの英語とカタコトの日本語を飛ばし合いながらできる限り話してきた。この先も日本にいるの?ときいたら、あと何年かしたらフィリピンに帰るかも、と言っていた。「日本にいると、仕事ばっかりですね」と言っていた。朝四時に起きて造船所で働く、みたいなハードな日々を過ごしているらしかった(その部分は英語で言ってたので、あんまり分からなかった)。おれの覚えてるタガログ語は「アテ(おねえさん)」「クヤ(おにいさん)」「ポ(〜です」「マハルキタ(愛してる)」だけだ、と言うと、「よくおぼえてましたね!」と褒めてくれたあとで「メロンペラ」を教えてくれた。「メロンペラ」の意味は「金が無い」。J君、いまのおれにぴったりな言葉を教えてくれてありがとう……。

 

帰りがけ、「日本人の友達ゆうやさんだけです」と言われたのが印象に残った。こんなフレンドリーであたたかな人柄の若い兄ちゃんに、日本人の友人がおれしかいないなんてことあるのか…?と不思議に思ったのだ。

とは言え、フィリピン人の仲間はいてしょっちゅう飲み会をしてるらしいので孤独な日々、って訳ではないと思うのだが、この偏見コテコテの大日本帝国でマイノリティとして暮らすのはなんとなく骨が折れるんだろうな、と思った。

駐輪場に着いたJ君はパンクした電動自転車に空気を入れた。タイヤがどうしようもなくぶっ壊れてて、行き帰りに毎回空気を入れないと駄目らしい。また数ヶ月以内にでも会えたらいいね、と話して別れた。

おれは共感能力などがあまり高くないので、彼の言葉が本音か建前か区別がつかないが、また会えたらいいと思うし、タガログ語が話せるようになりたいとかフィリピンに行きたいと思いながら家に帰った。